2018年3月17日土曜日

街のブルボンへ

 カミサンを街へ送り届けた。すぐ用事がすむようなので、いわき駅前のラトブにある総合図書館で待ち合わせることにした。ケータイが鳴る。急いで図書館の外へ出る。「今、ブルボンにいるの」。一瞬、新舞子海岸の喫茶店が思い浮かぶ。そこへ行くはずはない。店も閉まったままだ。街の西、紺屋町の姉妹店に寄り道したのだった。
 新舞子店には20代半ば、同業他社の記者たちとよく出かけた。みんなで行けば抜かれない――。仲がよかったことは確かだが、一緒ならひとまず特ダネに泣くことはなさそうだ、という思いがあった。ざっと45年前の話だ。

 平店は逆に、職場に近すぎる。歩いて5分ほどのところにある。入るところを見られると、またさぼっているといわれかねない。そのうち、1階の駐車場に変わったオブジェが並びはじめた。ますます入りづらくなった。
 
 海のブルボンにもオブジェはあった。素材は海岸に打ち揚げられた流木だ。マスターがそれを拾ってきて、仕事の合間にオブジェに仕上げた。そのころは外の置き物、控えめなインテリア、という程度だった。

 やがて海のブルボンは営業を休止する。2011年3月11日。新舞子海岸を大津波が襲う。さいわい建物は残った。街のブルボンもマスターが亡くなり、店を閉めていたが、最近、お孫さんと仲間たちによってよみがえった。

 知人が小川町でカフェを開く準備を進めている。その一環として、街のブルボンを借りてひとり修業中だ。で、カミサンが店を訪ねた。私も呼び出されて初めて入った。

 聞いてはいたが……。オブジェの中にテーブルとイスがある。オブジェに囲まれて飲むコーヒーは、それはそれは格別な味だった。聖と俗、具象と抽象がごちゃまぜ。そのときそのときの気持ちのままに、キッチュで純粋な作品をつくる。ただただその一念には脱帽するほかない。

 カウンターの上にジャコメッティ風の黒いオブジェがあった=写真右側。これだ、マスターの作品の原点は。元は、大雨の日に川の上流から流れ下り、新舞子の海岸に漂着した丸太だろう。足と腕が同じ半円状だからわかる。私はデビ夫人のような美女より、単純化されたこのオブジェのような作品が好きだ。味がある。

 ま、ここでくつろげるようになるには、何度も通って“異風景”になじむしかない。あるいは、なにか日常から抜け出したくなったらブルボンへ行けばよい――そんなことを考えさせる不思議な店ではある。

0 件のコメント: